徘徊のシロ

フィリピンでかんがえる、あるく、たべる

フィリピン人のお葬式

 

諸行無常

 

先週、わたしたち日本人に良くしてくれてたフィリピン人のクーヤに不幸がありました。

 

夕ご飯も済んで午後7時ごろです、

ルームメイトのメッセンジャーに、ナッツさん(フィリピン人)からメッセージが届きました。

passed away...

 

彼がスマホの画面を私の前に押し付け、

目に飛び込んで来たこの文字に背筋が凍ったことを覚えています。

 

他のルームメイトも冗談だよね?とざわつきます。しかしいくらフィリピン人が冗談好きとはいえ、そんメッセージを送ってくるタイプでは決してなく、「あ、これガチだ」と理解した瞬間、しばらく口を開く気力もなくなりました。

 

このフィリピンの地で、こんな経験をしようとは夢にも思わなかったです。

 

心臓発作で亡くなったことがわかると、ルームメイトのアテは号泣していました。

 

彼女が泣き続ける中、私も空を見てもう三時間くらいケータイ握りしめたままぼーっとしてお葬式のこととかこれまでの思い出とかいろいろ考えてしばらくは喪に服して静かに生活したいなと思っていたのです。

 

ところがさすがというかフィリピンだな〜というか、フェイスブックの通知が来てこんな時になんだ?とのぞいてみると同量の方々が次々と彼に関しての思いや写真をアップしています。

 

同居人でアテの弟もギターを弾いたりろうそくを灯して急ににぎやかな弔いの会が始まっちゃいました。

 

後日小さな協会で開かれたお葬式に参加して、死化粧を施されたクーヤと挨拶をして、ちょっと涙ぐみましたが、一人が泣くとそれに影響されてみんな泣き始めちゃう気がして我慢。みんな世間話をしたりお菓子やジュースをもらったり食べたり笑ったり想像通りカジュアルな感じでした。クーヤの人柄が楽しいことが大好きでいつも笑ってるようなひとだったからというのもあるのでしょうか。

一年も二年も年賀状やお祝い事を避けたり黒い服を着て弔われるより、こんな風に明るく見送られるのもいいな、と思いました。