徘徊のシロ

フィリピンでかんがえる、あるく、たべる

ストリートチルドレンと葛藤

 

毎日ジョリビーに行く度に小さくて細い子供達にタガログ語でアテ、アテ、と手を差し出される。


はじめこそ目を合わせられなくてドキドキしながらそばを通っていたが、そんな日々にも慣れた。余裕があれば食べ物を与えたりするようになった。カバンに貰い物のお菓子やペットボトルを忍ばせるようになった。

 

フィリピン人でもなにかしらあげる人、結構多いのだ。だから減らない。帰宅ラッシュの時間帯には間違いなく数人の困窮者が橋の上に座り込んでいる。

 

*1


善意が断られることもあった。
駅前でジープを待っていた際、8歳ほどの少年に何度も「お金ちょうだい、お腹すいた、あそこのお店で食べたい。」とせがまれて、その時まだ路肩の食堂を使ったことがなかったのでフードを買うのが不安で。代わりに手に持ってたマンゴーをあげようとしたが、少年は首を振り、そのお店を指差し続けた。

フィリピン人キラーのマンゴーを断られると思ってなかった私はショックを受けながら、ちょうどやって来たジープに乗った。

それからしばらく、私は何をあげていいか分からなくなった。何が一番嬉しいのか……ずっと考えてる。

 


子供を見かけて、カバンに手を入れものを探る時に、渡すときに、心に生まれる気まずさの正体にも悩んだ。

 

なんの関わりもない他人に脈絡なくなにかをあげることにどこかに抵抗があるのだと気づいた。そして断られることで、自身の行為が善意ではなく押し付けがましいお節介というものにシフトするのに耐えられないのだろう。

善行と信じたものが、否定されることに人間は弱い。被災地に折り鶴を送る問題と同じだ。ただの自己満足ではないかと。

 


しかし、だったらちゃんとコミュニケーションを取ればいいのだ。「いる?」ってパンをかばんから出して見せて、手を出したならあげればいい。何も持ってない時でも、話しかけられて無視するよりは「ごめんね、お金はないの」って言いながらバイバイするくらいのコミュニケーションは取れる。ストリートチルドレンだって、大抵険しい顔をしているが、一旦仲良くなるとはにかみながら声をかけてきてくれる。

 

もし自分がフィリピンの最下層に生まれていたらという想像をする。

 

多分世界一険しい顔で道行く人に両手を差し出しウロウロしてるだろう。時には暴言も吐くだろう。
貰うものは金が一番嬉しい。価値の変わらない安心材料だから。


でもきっと、正直なんでも嬉しい。食べるもの飲むものならなんでも嬉しい。
だって21年普通に衣食住不自由なく生きてても、チョコとかパンもらって嬉しいから。
水とかもらってもラッキーって思うし。


彼らもほとんどそうだと思う。実際、声をかけてひんやりしたマンゴーを恐る恐る差し出すと素早く両手で受け取るし、あとお金とお菓子は間違いなく受け取ってくれる。

 

勿論、飢餓でお腹を張らせていたりファストフード店近辺にたむろする子供たちには食べ物を与えるのが一番だ。

 

お節介でも善意でもなんでも、優しさには変わりないと、堂々としよう。理由なんて、ちっちゃい子がお腹すいてそうだったから。それだけで充分だ。

そう思ってカジュアルにものをあげるようになりましたとさ。

*1:※お金をあげるのは、出来るだけ避けてほしいことでもあります。路上の子供たちが大人と繋がっている場合も少なくありません。集めた金はドラッグや銃の購入費に充てられます。私自身、子供たちがおっさんに小銭を渡しているシーンを見たことがあるのですが、断定出来ませんがそういう現場だったかもしれません。